御幸遠州流とは
1907年(M.40年)正風遠州流を学んだ井上幾右ェ門が大津にて創流。命名は天皇の大津、長等神社への御幸(上皇・法皇・女院等の外出を云う)にちなんで付けられた。
流祖「幾右ェ門」は若い頃、近江出身の杉浦重剛と「行」を共にした学者であった。貧しい人からは月謝を取らず花を教え、人々からたいそう尊敬された。
1914年(T.3年)6月23日 83歳の時、ギボシを活けながら最後の一枚を挿そうとして亡くなる。6月の第三日曜日に流祖を偲び「ギボシ会」と名の下法要が営まれている。
御幸遠州流の活け花は大きく分けて『流儀花』と『現代花』に分けられる。
『流儀花』とは主に流祖より伝えられてきた〈古典・伝承の花〉を指す。又、当流独特の『風景花』も 数多く伝承されている。
『現代花』は〈盛り花・投げ入れ〉が主になるが、最近の住宅の変化、花器の変形に伴い時代と共に 進化し、バラエティーに富んだものとなってきている。しかし、当流は人工の物はあまり使わず落ち着いた 作品が主流であり好みである。
すなわちコンセプトとしては、見た人が心落ち着き清々しい気持ちになり、何時までも見ていたいと感じる
「活け花」を活ける事が一番であると確信している。